ジミー・ドーシー オーケストラ
Jimmy Dorsey and His Orchestra
ジミー・ドーシー オーケストラ Jimmy Dorsey and His Orchestra
中央はクラリネットを演奏するジミー・ドーシー

ジミー・ドーシー(1904年2月29日-1957年6月12日 誕生名はジェームズ・フランシス・ドーシー James Francis Dorsey )は、アメリカのジャズ・クラリネット奏者、サクソフォン奏者、作曲家であり ビッグバンドを率いていた。
彼は1927年に独創的なジャズスタンダード「Singin'theBlues」でクラリネットを演奏し、グラミー殿堂賞に導入された「我が心のジョージア」のオリジナルの1930年の録音を演奏した。


ジミー・ドーシーは、ペンシルベニア州シェナンドアで生まれた。彼の父は当初炭鉱夫だったが、音楽才能があり、後に音楽教師になりマーチングバンドの指導者としても活躍した。 家族は音楽一家で弟のトミーも子供の頃から音楽的に活動しており、家族でバンドとして遊んだりしていた。幼少時からからトランペット、サックス、クラリネットなどいろんな楽器を経験した。 クラリネットは現在でも一般的なベーム・システムの運指が主流になりつつある中でアルバート・システムの運指を装備した楽器を使い、その後もアルバート・システムを使い続けた。

1927年、兄弟は「ドーシーブラザーズ・オーケストラ」を作成し、オーケーレコード(Okeh Records)と契約した。 彼らのセッションのいくつかでは、グレン・ミラーがトロンボーン奏者、編曲家、作曲家として参加したこともあった。 ドーシーブラザーズ・オーケストラの成功にもかかわらず兄弟は対立し始めたようだ。いろいろ音楽意見の考え方に違いが生じてしまったんだろうな。
1935年9月には、ジミーが率いるバンドが「ジミードーシーと彼のオーケストラ」とになり、デッカレコード(Decca Records)と契約した。

その後、1945年には、兄弟は再び新しいバンドで音楽を始めた。トミーは先に亡くなったが、ジミーはバンド活動を続けた。 ジミー・ドーシーは、ビッグバンドとスウィングの時代と その後の時代において、最も重要で影響力のある音楽家のひとりと見なされている。


私家版 楽器事典 / 楽器図鑑
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