楽器の名前


低音の弦楽器
いろいろ


楽器一覧(弦鳴楽器)
豪絃 ごうげん
豪絃(大三味線)を弓で演奏/ごうげん
豪絃を弓で演奏
豪絃は低音の大三味線。
大正後期(1924年)に 四世・杵屋佐吉* が考案した。
一般的な普及している三味線と相似の拡大スケールとして大型にしているが、棹は少々短い。

はじいて演奏する場合と 弓で擦って演奏する場合がある。弓で演奏するバージョンは、孫の七世・杵屋佐吉が始めたようで、駒(ブリッジ)を棹に近い場所に位置される。 これは、弓が角度をもって弦に触れることができるようにするためだろう。立てて演奏するために お尻の部分には脚(エンドピン)が取り付けられている。
共鳴胴の表は、カンガルーの皮を張ってあるという。 豪快な低音が出るところから豪絃という名が付けられたのかもしれないが、カンガルーなので豪州の「豪」を取り入れたというのが正解じゃないかな。

豪絃を演奏する時の弓。これは、コントラバスの弓だね。
おそらく、ジャーマン・ボウを使っている。もし、ジャーマン・ボウでなかったとしても、フロッグの部分を包むように下から持っている。 ちなみに、下から支えて持つという方法は、世界中のあらゆる弓奏楽器の伝統的な方法で、現在のバイオリンやチェロのように上から持つ方法のほうが特殊といえる。




* 四世 杵屋佐吉
杵屋佐吉 オフィシャルウェブサイト( https://www.samonkai.com/index.html )から引用
三世佐吉の三女、初世佐喜の子として、東京浅草に生まれる。明治27年(1894)3月、三世佐吉の門弟、佐喜次につき、長唄修業を始める。明治28年(1895)、二世寶山左衛門の厚意により、本名良二の名で新富座へ見習い出勤。 明治32年(1899)浅吉と改名。明治37年(1904)7月、21歳でタテ三味線昇進。同年、四世杵屋佐吉を襲名し、新富座・明治座・春木座の囃子頭を経て明治座の邦楽部長、松竹の音楽部長となる。明治41年(1908)、蜂須賀藩士中山賢正明三女ますと結婚。夫人は唄方杵屋増子として公私共に生涯佐吉の良きパートナーであった。

杵屋佐吉が考案した豪絃(ごうげん, 大三味線)
通常の三味線のように弦をはじいて演奏

胡弓(クーチョー) | 胡弓(こきゅう) 日本の楽器


私家版 楽器事典 / 楽器図鑑
gakki jiten