ルイ アームストロングを語る前にちょっと言っておきたい。
私は歳をとるにつれ、感動することがだんだん億劫になってきた。
 
若いころから、感動して泣いてしまうことは私の弱点だった。テレビドラマでもそうだし、レコード一曲聴くだけでも涙が出て止まらないことがある。
 
テレビ番組で、例えば「波乱万丈○○の人生」とか何とかいうのがあってタレントさんが目に涙をためて感激をアピールしている場面には、バカヤロウ違うだろと言いたい。番組としての絵作りに必要かもしれないけれども、泣いてるところを人に見せるな。感激屋で泣き虫なんてのはばれないようようにすべきと違うのか。少なくとも私は自分の泣き虫が恥ずかしい。
 
ふた昔も前の話だけど、家内と一緒に出かけた息子の学芸会で一生懸命歌っている子どもたちを見ていて涙が出てきて隠すのに困ったこともある。家内は私が泣き虫であることを知っているので、今、お父さんは泣いちゃってるなんてことにすぐに気づいてしまっている。家内にはばれてもしょうがない。
 
 
 
 
 
映画を見るのに涙をふくハンカチがいるとかで映画館に入る方もいらっしゃるようで・・・。ああ、こんなのもっとバカヤロウだ。純で清く正しい人間なので、すばらしい映画には感動するのです。この映画の主人公のように同じ優しさを持ち苦しさが分かる人間だから感動するんです、とか言いたいようだ。
 
 
感動することを隠すのにエネルギーを使うなんてのは、分からない人には理解できないことだろうけども、泣き虫は感動から逃げることを心得るようになってくる。感動することに億劫になっているとはこういうことだ。
 
 
 
YouTubeで、
ルイ アームストロングの「この素晴らしき世界 What a Wonderful World」
 
これにはしくじってしまった。感動から逃げることに手を抜いてしまった。数分聴いただけで涙が止まらなくなった。
 
ありえるか。
ありえるから、つらい。
 
感激することはどれだけしんどいことか、映画を見て泣くのをおしゃれと考えている感激屋ごっこさんには分からないだろう。
 
 
 
唄をうまく歌うにはどうしたらよいか。それは歌わないことだ。と聞いたことがある。
 
そうだね、サッチモはトランペットを吹いていない。トランペットで話している。
 
唄を歌っているのでもない。こんなことを語りかけている・・・・
 
 
 
 
 
 
I see trees of green
 
red roses, too
 
I see them bloom
 
for me and you
 
And I think to myself
 
What a wonderful world ! 
 
みどりの木々が見えるでしょう
 
赤いバラの花が見えるでしょう
 
私とあなたのために咲いているのですよ
 
そんな時、私はひとり思うのです
 
この世界は なんてすばらしい世界なんだろう
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・・と。
なんて単純な詩。
 
バックではなにやらメロディが流れている。なんて単純なメロディ。
 
サッチモはこんな詩を語り話しているだけ。それがまるで歌っているように聴こえるのではないか。
 
唄をうまく歌うにはどうしたらよいか。それは歌わないことだ。
 
こんなすごい表現力をもっている音楽家は少ないだろう。ルイアームストロング・・・サッチモはその一人。
 
 
What a wonderful world 
 
(2008年5月)