なんて行儀の悪い
Web上でこんな会話・・・”電話の受話器を首に挾んで会話しながら別の作業をする。みっともないので、そんなことしないでいい”・・・
と。
私もサラリーマン時代、電話で話しながら PC を操作というのは通常やっていたが、これはみっともないらしい。
同じ姿勢で構えるバイオリンはどうだ。やはり、みっともないということだ。楽器をアゴで押さえるなんて行儀悪すぎ。弓で弾く楽器でこんな構え方をするのは、バイオリンだけだぞ!!
世界中の楽器を見渡すと膝や床に置いて縦に構えるのが圧倒的に多く、胸に押し当てて弾くのもある。
こんなに みっともなくて行儀の悪い演奏姿勢、バイオリンは常套なのだ。でもね、楽器を固定することによって、ビブラートがかけやすくなったし、ハイポジションでの高度な演奏が可能になった。だから、行儀が悪くても許してあげようね。これによって音楽の可能性・表現力が飛躍的に向上したんだから。
ああ、そういえばチェロのほうが みっともなくて行儀が悪いかもしれない。だって股に挟むんだもの。うら若き女性でもね。これもまた 許してあげようね。
スプルースは 音を出す素材として最高か
バイオリンの材料は木である。「スプルース」とか「メイプル」とか「黒檀」とか、こだわりの木材で こだわりのノウハウをもって作り上げる。最高の音質を確保するためよりすぐった最高品質の木材を使う。
でもね、木材というのは、音を響かせるために育っているのではないのよね。人が勝手に「この木をこの方法で・・・」と、地球上に存在する素材をチョイスしたわけ。
繰り返すが、樹木は将来は人間に削りだされて音を響かせる道具になることを夢見て大きく育っているのではない。だから、音響素材として最高かというとそうではないだろう。たまたま現存しているものを使っているだけ。
ということは、音を響かせるための素材として研究を重ねれば、もっと音響的に優れた素材を作り出せるということだ。
イタリア・クレモナで作られたバイオリンは現在の科学をもってしても解明できないほど完璧である、というけれど、私はあんまり信用していない。
現在の技術で作ったほうが良い楽器ができると思う。ただ、音楽家はそういうのは好きじゃないんだよね。高度な科学技術をもった素材で作った楽器が素晴らしかったとしても、音質が違うということでケチがつく。
「ストラディバリウスの音を良い音」として「それと異なる素晴らしい音は良い音ではない」ということになりそうだ。
私は毎晩「ビールまがいの発泡酒」を飲んでいるが、正月なんかにたまたま高級品(?)として「本物のビール」を飲むこともある。「本物のビール」はなんか匂いがキツくて好きじゃない。いや、好きじゃなくなったのだろうけど。
「発泡酒」と「本物のビール」は味が違う。ウマい、マズいのランクとは別物だ。バイオリンの音質の良さってこれと似てないか。
音の善し悪しは演奏者しだい
楽器の素材品質によって音が変わる。そりゃそうだ。でも「気持ちのいい音」「気持ちの悪い音」この違いは演奏者の技術によるのがほとんど。数ある楽器の中でバイオリンは特にそうだ。
素人が初めてバイオリンの弦を弓で擦った時「なんじゃこのエゲツナイ音は」と感じる。こんなもの楽器じゃない。音に鈍感なお方でもこの雑音には参る。
あんなに短い弦を、ほんの数ミリ単位で押さえこむ。目印があるわけではない。
声を出す声帯と そのあたりの筋肉にフレットがついているわけではないが、まあちゃんと音程を出すことができる。それは自分が持っている器官であって身体の一部分としての機能であるので、生物として赤ん坊の頃から声帯を使いこなしているわけ。
だが、バイオリンは自分自身の身体の仕組みではない。弦の長さで音を調節するというバイオリンと名付けられた道具で、あの音程を、しかも美しく奏でることができるというのはおかしい。
バイオリニストは、そのおかしいことをやってのける。魔術である。
魔術師であるからバイオリンを弾けるのであって、音の善し悪しは魔術師の魔術の技量による。メイドイン・チャイナの2万円のバイオリンであっても、その魔術によって美しい音が出る。
それでもやっぱり 2万円のバイオリンは音が悪いということになる。そりゃね、少しは悪いのかもしれないけど、その「悪さ」を体感できるかね。音が悪いというのを音色が違うというのと混同してはいないだろうか。
いずれにしてもバイオリンはとてもアナログ的で音程に境目がない。弓で弦を押さえる位置・角度・圧力・速さなどはスイッチがあって切り替えるわけはない。楽器を自分の身体の一部として制御できる演奏者によって奏でるという作業が行われる。
気持ちのいい音を出すのは、幼いころから魔術を学んだ人によってとり行われる。